マテ兄貴

名選手館で兄貴をUP。普段は皆さんが立ててくださったスレッドに選手の情報レスするんですが、兄貴に関してはあんまり情報が多いのでブログにUPします。

武勇伝

1996/97シーズンのペルージャvsミランで兄貴がマルディーニを挑発。それに引っ掛かったマルディーニが肘打ちで一発レッド。デュガリーも挑発しレッドに追い込む。あと関係ないがダビッツがこの試合で骨折。ペルージャは兄貴の活躍でミランを下す。
1999/00シーズン最終節、ユベントスvsペルージャペルージャが勝利しユベントスは最終節にして優勝を逃す。ラツィアーレの兄貴はユーベの面々が落ち込むはたで大喜びしユーベの選手と乱闘。コンテとの確執勃発。
エバートンでのシーズンを終えイタリアに戻る際に「プレミアのレベルは低い」と発言。その数年後にCLでアンリにいてこまされる。数年来に及ぶフリとボケを完成されるという異次元の荒行を成し遂げた素敵な兄貴。
2001/02シーズンの最終節、インテルラツィオに破れ最終節で優勝をユベントスに奪われる。セーザルが兄貴に「早く2ゴール決めろよ。スクデットが待ってるぞ」と挑発したことにより試合後に乱闘。止めに入った関係ないネスタまで兄貴にぶん殴られる。その後ユベントスのコンテから「2年前コケにした罰だ」とのコメントがあったが兄貴は「お前はボーナスで新しいかつらを買え」とクロスカウンター。痛いところをつかれたコンテは「今は植毛の時代だよ。それよりお前は脳を移植してもらうんだな」とマジギレ。
2002年ワールドカップ前のイタリアvsイングランドでタックルを受け立ち上がろうとしたベッカムの背中を突き飛ばしそのまま逃走。ベッカムは近くにいたイタリア人選手にキレるも、その近くにいた選手が同じDQNパヌッチという悲劇。
2002/03シーズン、インテルvsニューカッスル。兄貴の”見えないパンチ”がベラミーに炸裂、兄貴に掴みかかったベラミーは自分だけ一発レッドを受ける。べそをかきながらピッチを後にするベラミーに対し兄貴は(ι´_ゝ`)。
同じく2002/03シーズンのCL、ミラン戦でシェバの腹にケンカキックをお見舞い。イエローで済んだが「あれはレッドでもよかったかもね」と試合後にさらっと言い切る。別の試合だがルイ・コスタピッポもマテキックを食らっておりミラン公式サイトにて兄貴特集が組まれる。ミランのブライダの談「犠牲者は違うが犯人はいつもマテラッツィだ」。ちなみにこのシーズン、カンピオナートではいつもどうりの暴れッぷりだったがもらったカードは僅かにイエロー1枚。エディ・ゲレロ並みの悪事の天才ッぷりを披露。
ビエリの「もっとFWは保護されるべきだ」との発言を受け、兄貴は「ボボはいつも体をぶつけられているので守られるべきだ」と発言。数億人をビックリさせる。
シエナ戦で試合に出ていないにも関わらずベンチ脇から「チリッロしょぼいぞ!狙っていけ!」と野次を飛ばしまくる。試合はインテルが圧勝するも試合後にチリッロが兄貴の肩を掴んだ瞬間にマテパンチ炸裂(ι´_ゝ`)=〇) ゜Д゜)・∵; ;!!チリッロは取材にきたテレビカメラの前で切れた唇と顔のまま登場し涙の訴え。兄貴曰く「チリッロに呼び止められ乱闘になりそうで俺は”怖かった”。彼が殴ろうとしたので”怖くなって思わず”反応してしまったんだ。すまなかった」と発言。187cm、75kgと大柄なチリッロに対し恐怖感を抱いた193cm93kgの兄貴は2ヶ月の出場停止。

総括

相手をしばいても(ι´_ゝ`)だが自分がやられるともんどりうつ。試合の流れが悪いときや時間を稼ぎたい時には内蔵の「体のあちこちが痛くなるセンサー」が敏感に反応。ゴール前で倒れて起き上がらない。やたらとタトゥーの数が多い。夜10時には寝る健康優良兄貴。背番号の23は憧れのマイケル・ジョーダンの背番号、自身が結婚した年齢、息子(ジャンマルコ)の生まれた日と、本人にとって縁起がいい数字。人種差別に反対する運動を展開中。エバートン在籍時に英語をマスター、実は頭がいい。なんでかFKが得意。ユニフォーム集めが趣味。ガットゥーゾは兄貴を「ゴッドファーザー」との敬称で慕う。インテルの面々に「一番仲のいい選手は?」と質問があると兄貴の名前が多く出る。一番よく使う言葉は「Vaffanculo」。